アキノ大統領、独立運動の英雄、ホセ・リサールの記念式典を執り行う
フィリピンの国民的英雄、ホセ・リサール博士は、1896年12月30日、35歳のとき、軍法会議にかけられ、フィリピンの民衆が見守る中、銃殺刑となった。
12月30日は現在、国民的英雄リサールの命日としてフィリピンの祭日となっている。
ホセ・リサールは、医師、作家、画家、学者で、フィリピン独立運動の志半ばで、逮捕され、スペイン軍によって銃殺された。彼の遺志はフィリピンの人々に受け継がれ、フィリピン独立の英雄として現在も愛され続けている。
彼の家系はメスティーソといわれる中国人(華僑)とフィリピン人の混血の一族で、ドミニコ修道会所有の農園の小作農であったが、教育の機会に恵まれマニラのサント・トマス大学で医学を学び、21歳でスペインに留学。フィリピン人はスペイン人に劣るのではなく、足りないのは教育の機会だけだと彼は考え、同胞を啓蒙し、スペインの支配からフィリピンを解放する運動に命を捧げた。
1949年から1973年まで、フィリピンで1ペソ及び2ペソ紙幣に彼の肖像が使用されていた。
フィリピンの偉大な遺産
アキノ大統領は、マニラに記念碑が建っているホセ·リサール博士の118回目の命日(12月30日)に記念式典を執り行った。
ホセ・リサールは、植民地主義者の侵略に立ち向かい、投獄、亡命、最終的には銃殺された。勇気ある行動、真実と正義を貫いたリサール博士のフィリピンへの献身を追悼する記念碑前で、アキノ大統領は、旗を掲げ、花輪を手向ける式典を行った。
長年にわたり、フィリピンのさまざまな組織において、リーダーのロールモデルとして、リサールの取り組みは称えられ、触発されるべき英雄として考えられている。
アキノ大統領は式典で、フィリピンの人々は将来にわたり、威厳を持ち、発展する国の未来を築く世代へ彼の遺志を継承し、国民の義務を守り、フィリピンを支える人々は、リサールの銃殺刑を胸に刻み、国を活性化させるべきだと述べた。
現代のロールモデル、リサール
教育省では、フィリピンの若者が目指すべきロールモデルとして、様々な機会にリサールを引用する。 アーミン教育長官によると、リサールは真の世界市民で、才能あふれるフィリピン人気質の縮図でもある。
現代の教育現場でも、フィリピンで才能ある若者を育てるときに、リサールがしばしば、引き合いに出される。彼は、22の言語を操り、眼科医、詩人、哲学者、彫刻家、小説家など多種多様な才能にあふれた人物だった。
ホセ・リサールは、フィリピンの歴史上で重要な人物の一人だ。彼の理想、作品や行動は、フィリピンの豊かな文化遺産を形づくっている。フィリピン国民が、リサールを尊敬し、彼の考えを受け継ぎ、維持するために努力することを記念した祭日が、12月30日だ。
2014/12/31
フィリピン・マニラでハイクオリティな日本式リノベーションを。
Tokyo Grand Renovationは、あなたにふさわしいリノベーションをお届けします。